「待たせることは罪」の副作用

ココロ

「待たせることは相手の生命を削ることだ」と教えられた

何故こんなに思い通りにしようとしてしまうんだろう?
なんで待てないんだろう?

人を待ってイライラしている自分に気づいたので
掘り下げてみた。

待たせることは相手の生命を削ること

同等だから

決して遅れてはいけない

と本で読んだか、誰かに教えられたような気がする。

気付けばこの概念を知らぬ間に
インストールしてました。

確かにそういう側面があって、
そのとおりだと思うんだけど・・

この概念を採用することによって、
自分が困ることに気づいたのです。

待つことを”悪”とすることの弊害

結局

誰かに待たされる時、
誰かを待たせる時、

僕はソイツをムカつくし、
僕はその方にムカつかれてしまう

という思考になってしまうから、

待つ

という事象だけで、

感情が乱されてしまうわけだ。

待たせないという正しさ

を受け入れることによって

待つという間違いが生まれます。

だから、生きづらくなってしまうのかと。

諸外国との時間感覚の違い

実際、アメリカとか電車ですら、

へーきで遅れてくるからね笑。

彼らのバックグラウンドには、

多くの人種がいるから、

多様性

が自然なのだ。

だから、そーいう考えなのね。

で終わり。

ただそれだけ。

お互い様っていうのもあるかな。

一方、日本は島国で村社会で組織型だから

一つの考えに集約する傾向にある。

知らぬ間に築いていた鉄格子を取り外そう

日本も多様性を重要視するようになったけど、
それは単に外国人を受け入れるとか雑な話じゃなくて、

自身の概念を見直す時が来たとも言えるのかもしれない。

どちらにせよ

must しなければならない

should すべき

という概念は手放すべきであろうね!

コメント

タイトルとURLをコピーしました