自分を大切にするということ
「自分を大切にしよう」
と生き方を変えると
今までと違う選択をすることになる。
例えば)
今までお願いに対して
YESがNOになるわけで
相手が不機嫌になったり
相手が離れたりする
そういう状況になると、
罪悪感
孤独感
が生まれて
「要求に応えられなかった自分」
「優しくできなかった自分」
を責めたりしてしまう。
過去の自分を振り返ると、
ここで踏ん張れず
恩
人情
を理由に、
頭を下げたり、
なかったことにして笑、
相手との距離を戻したりした。
でも、
結局これって、
相手は
「機嫌を取ってくれる自分が好き」
であり、
あるがままの自分を好き
でいてくれてるわけではない。
「言うこと聞かないなら、知らない」
というわけ。
この恐怖・・
何かに似てると思ったら、
母親との関係がまさしくこれ。
この恐怖心が、
まだ自分の心の奥底にある。
「言うこと聞かないなら、知らない」
何もできない子どもの自分にとって、
恐ろしい脅迫である。
いつしか
「言うこと聞くから、愛してほしい」
と
従順と引き換えに
自分を犠牲にしてしまったのだ。
自己愛
自分を愛する
自分を大切にする
というと
優しくて甘い
イメージがあるけど、
悲しみ
罪悪感
とともに
孤独を引き受けることだと思う。
言い方を変えると、
「自分とともに生きる」
と決めることだと思う。
結構、最初は痛手は食らう笑。
でも、この通過儀礼を乗り越えたとき、
健全な
自由
愛
が手に入るのではないだろうか?
ベストセラー
嫌われる勇気に通ずるものがあるのかもしれない?
久しぶりに読んでみようかな?
こう思えるヒントになったのは、
この本の影響が大きいのでオススメ👇👇👇
野口先生の詩👇👇👇
「僕がすること」
野口嘉則
僕が僕の欲求を大切にすることによって、
僕を嫌う人がいるとしたら、僕を嫌いになってくれほうがいい。
僕が僕の気持ちを大切にすることによって、
僕から離れていく人がいるとしたら、離れていってくれたほうがいい。
その人たちが僕を嫌って離れていってくれたら、
僕はますます自分のことを大切にしやすくなる。
逆に、その人たちと仲よくし続けようとしたら、
僕は自分の欲求や気持ちを永遠に抑え続けなければならない。
だから、僕が僕を大切にすることによって、
僕を嫌って離れていく人がいるとしたら、そうしてくれたほうがいい。
だれが僕のことを嫌いになろうとも、
だれが僕から離れていこうとも、 僕がすることは、僕自身を大切にすること。
僕自身の味方になること。
僕自身をゆるし、愛すること。
本でこちらの詩も紹介されてました👇👇👇
「ゲシュタルトの祈り」
フレデリック・S・パールズ
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、
私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。